日光くんは所領・本拠が博多なだけで生まれと育ちは都だと思っているのだが、とりあえず山鳥毛を越後に送り出してから一族が建立したか所領近在で一番大きな禅寺に身を寄せることになる。日光くんは社会のなかで生きていきたい人だと思うので、求道よりも教化とか人と交わる方向に魅力を感じる宗教者だと思う。寺には属しているけれど完全隠居モードに入っているので役職なし。「寺の小僧が増えたとでも思ってくれ」と来たときに宣言してみんな(んな無茶な……)って思った。山鳥毛に合わせて博多に帰ってきただけで元気はあり余っているので、読経すると元気よく鈸(禅宗で使うシンバルみたいな鳴り物)を鳴らしてる。
日光くんは山鳥毛を縁の下で支えた実務力の化身なので博多商人は日光くんのところによく世間話しにやって来る。最初は一回会ってみるかくらいのものだけれど、宗教者やってる酸いも甘いもかみ分けた日光和尚、利に生きる商人たちにすぐに好かれた。裏表ないし実直だし口も堅いので。あとたまに都時代のコネを使って助けてくれる。悩みを話しても最終的に「座禅しろ」としか言われないけど、とにかく何時間でも話を聞いてくれ、そのうえ座禅の面倒まで見てくれるので辞去する際にはすっきりした気持ちになれるのでひっきりなしに人は来る。
商人とのコネができたので中国からの輸入品も融通してもらえる日光くん、ちょもさんの好きそうな漢籍を見つくろっては越後に送ってる。ちなみに日光くんは漢文も一通りできるが、実は自ら創作するとなると和歌が一番得意だったりする。作風はかなり抒情的。出家する前は仲間内から代筆を頼まれる程度には恋歌が上手かったし、女性になりきって詠んだりするのも得意だった。ちなみについでにちょもさんの漢詩は自然風景描写が得意なおおらかな作風です。
はちゃめちゃに希少な漢籍を手に入れたときに、甥(家督を半ば無理やり譲った弟の子供)の長谷部と、長谷部と兄弟同然に育った家臣の号さんを、お使いついでに見聞を広めて来いと越後に送り出している。路銀は日光くんのへそくりから融通した。この二人から見た上杉三人衆ってどんなんだったんだろうな。帰路でぽつりと「良い人たちだったな……」「ああ」くらいの会話はしているかもしれない。長谷部からしたら自分は生まれる前なのでよく知らないが、家がかなりの騒ぎになって父親が凄まじく苦労する羽目になった原因の伯父さんについて、ちょっと違う視点を得る経験にはなったかもしれない。
都にいたときは毎年必ず祇園祭の見物に出かけていたので、博多でももちろん欠かさず博多山笠を見に行っている。場所柄中国・朝鮮商人の知り合いもできたんじゃないだろうか。琉球、東南アジアの人もいるかも。発音はおぼつかないけれど漢文やってるし漢字も書けるし、相手も母国語話者以外の人間とのコミュニケーションには慣れているでしょう。国際色豊かな茶飲み友達から聞いた話を、跡を継いだ南泉くんと越後に書き送っていた。手紙に珍しい物を見物したみたいな話を書くと、気が向いたときに姫鶴がやってきたりする。
こういう余生を過ごしたので、皆に見守られて亡くなったし、つくられた墓の規模も山鳥毛、姫鶴より大きい。石塔脇に誰が寄付したかずらずら彫られた石碑なんかもあったりする。
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